初代時の鐘は寛永年間(1624年〜44年)に建てられた。
建築当時、庶民は時計を持っていなかったので、寺院の鐘や、町の中心に置かれた「時の鐘」によって時刻が知らされていたということだ。
今も大きな櫓のある時の鐘が残っている。江戸時代の人達は、この鐘の音で川越の時を知ったのだ。
もっとも現在のものは4代目で、明治26年の川越大火後に建てられたもの。人員削減のため電動式になり、毎日、午前6時、正午、午後3時、6時の4回、鐘を鳴らしているそうな。
川越の土蔵造りの店舗は、いわゆる「蔵造り」として有名です。蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町屋形式として発達したものです。一番街の通りに面して建ち並ぶ蔵造りの町並みは、今の東京では見る事ができない江戸の佇まいを彷彿とさせてくれます。
星野山無量寿寺喜多院は、五百羅漢や正月3日のダルマ市(初大師)で広く知られ、平安時代の創建とされています。慶長4年(1599年)に27世を継いだ天海が家康の厚い信頼を得たところから大いに栄え、寛永15年(1638)の火災後の再建時には、江戸城内の家光誕生の間や、春日局化粧の間が喜多院の書院、客殿として移築されています。境内にはほかにも多くの文化財や史跡があり、訪れる参拝客でいつもにぎわっています。
喜多院の境内にあり、天命年(1782)から約50年をかけて作られたものといわれます。全部で540体あり、人間味あふれる様々な表情をした石像は、それぞれどこか身近にいそうな親しみを感じさせてくれます。
川越城は関東管領の扇谷上杉持朝が、古河公方に対抗するため、家臣の太田道真・道灌父子に命じて長禄元年(1457)築城しました。その後江戸時代には代々住職の地位を占める大名の領地となりましたが明治維新後次第に解体され、大部分は住宅地や公園となってしまいましたが、嘉永元年(1848)建造の本丸御殿の玄関と大広間が残り、往事を偲ぶ事ができます。