2012年4月13日〜15日、グアムに行ってきました。
目的は、国外でかつ日本から近い場所であり、行ってみたかったこと。グアム通の知人の評では、日本語が通じるので国外であることを感じないとのこと。確かにそう。残念なこと?にほぼ英語は不要でした。13日夜に成田を出発するデルタ航空機に乗り、日付が変わるころにホテルへ到着し、その日は寝るだけでした。翌朝は、無料の半日ツアー、ポリネシアンショーの付いた夕食バイキング、これらの合間に、Kマート、DFSギャラリア、アウトレットなどでのショッピングを楽しむという駆け足旅行でした。
ホテルの部屋から眺めたタモン湾です。今回もオーシャンビューの部屋でした。
海岸へ出たところ、上の画像の中央付近の砂浜で撮影。実際には、白い砂はまぶしく眼が開けていられません。
フィッシュアイ・マリンパーク海中展望塔です。この展望塔そのものは日本製だったりします。
フィッシュアイマリンパークから海中を見たところです。ガラスの汚れもあるでしょうが、海水の透明度が今一つな印象を受けます。これは、魚を集めるため餌付けしており、その残餌で海水中の有機物が増加していることもあるかと思います。海中撮影はカラーバランスが難しいです。カメラお任せのカラーバランスでは、青緑色の強い画像になります。少しいじって、実際の見た感じに近づけてみました。
グアムは現在建設ラッシュだそうです。ホテルの部屋に置いてあった小冊子には、「From
Okinawa to Guam」と題した一文が載っていました。それによれば、8千人の海兵隊が沖縄からグアムへ移動し、それに伴い日本政府はグアムに対し600億円を投資し、結果として、2万5千人の軍関係者が増え、島の人口は15%増加するそうです。それに伴い住宅建設などのインフラ整備のため、1万人の建設労働者が必要となり、彼らの宿泊施設を建設するためにジャングルを切り開いているとのことです。
この計画は、当初は2010年に完了する予定であったが、日本政府はそれを完了していないとの一文も添えられていました。
知事公舎にある旧日本軍の大砲
近代の東南アジアは植民地という歴史的な側面を持っています。グアムも御多分に漏れず、スペイン、アメリカ、日本、アメリカと統治国が変わりました。その際は、戦争になるわけですから、悲惨な歴史が残っています。ちなみに現在は、アメリカの準州(信託統治領)となっています。
グアムを日本が占領していたのは、1941年から1944年までです。その当時は大宮島(だいきゅうとう)という名前でした。
グアムのホテル街からアクアリウムまで移動する途中に、第二次世界大戦末期アメリカ軍が上陸した海岸があります。とてもきれいな海岸ですが、アメリカが上陸してきた際は、日本守備隊約1.85万人のうち、1万8千人が戦死するという悲惨な戦いがありました。現在でも塹壕、大砲などその名残を見ることができます。
グアムの北200kmには、玉砕でその名が知られているサイパンがあります。南の楽園で平和への思いを新たにされるのも一つの楽しみ方かもしれません。
フィッシュアイ・マリンパーク桟橋より
フィッシュアイマリンパーク横で眺めた夕日
知事公舎横にある展望台
ポリネシアンショー
画像処理してなんとか見えるところまで感度を持ち上げた画像です。
恋人岬から眺めたタモン湾
恋人岬から 右下に見える岩が何となく女性の横顔に見えます。